歴史は深い その7
張の軍隊の主力は関内にあったので、郭は満州の要地をつぎつぎ陥れ、十二月はじめには、はやくも張の本拠奉天に迫る勢いをしめした。
このときは張もいよいよ下野・亡命まで決意したといわれています。
この事件にさいして、関東軍や奉天総領事吉田茂などは、またもや援張を主張しだした。
しかし幣原はふたたび干渉に反対して陸軍を抑えようとした。
そこで関東軍は今度は公然と政府の決定を無視し、奉天に日本駐留軍を集中するとともに、郭軍が営口に入ることを禁止する措置をとった。
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張の軍隊の主力は関内にあったので、郭は満州の要地をつぎつぎ陥れ、十二月はじめには、はやくも張の本拠奉天に迫る勢いをしめした。
このときは張もいよいよ下野・亡命まで決意したといわれています。
この事件にさいして、関東軍や奉天総領事吉田茂などは、またもや援張を主張しだした。
しかし幣原はふたたび干渉に反対して陸軍を抑えようとした。
そこで関東軍は今度は公然と政府の決定を無視し、奉天に日本駐留軍を集中するとともに、郭軍が営口に入ることを禁止する措置をとった。
宇垣陸相もやがてこれに同調し、満鉄の付属地の周囲十ニキロ以内の両軍の戦闘を禁止するとともに、朝鮮と内地から増援軍を派遣するにいたった。
この日本軍の介入が張を救った。
奉天軍の集結とともに郭軍は敗北に追いこまれ、十二月末には郭はついに捕えられて射殺されてしまったのです。
これをみて為玉祥も下野し、西北に引き上げた。
大正十五年(一九二六)四月には段祓瑞も北京を追われ、満州から華北にかけての支配は完全に張作霧の掌握するところとなった。
こうして北方の情勢はいちおう落着をみせたが、この一連の事件においては関東軍の果たした役割がきわめて大きかった。
しかも幣原の方針にもかかわらず、その独走はしだいに露骨になり、中央政府をも引きずるようになっていったのでした。
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